毎年この日が近づくと、あの時のことが鮮明に脳裏に蘇る。
非日常だったあの日はいつまでも俺の心に刻まれたままだ。
あの日見たこと聞いたこと感じたことを
振り返りながら書こうと思う。
 
【2011年3月11日~1日目~】

あの日、俺は当時所属していた全日本プロレス石巻大会に向かうため、
仙石線という電車に乗っていた。
ちょうど仙台と石巻を海岸線沿いに結ぶ電車だ。
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ものすごく寒くて雪も降っていた気がする。
俺の乗っていた下り電車は「野蒜駅」を通過して、
ちょっとたった14:46頃激しい揺れの地震がおき、緊急停車した。

【当時のツイート2011年3月11日(金) 15:44やばい電車止まった、試合間に合うかな?】

俺はこの時、やべー!これ試合に遅れちゃうよーと
とにかく試合の事ばっか気になっていた。
揺れるは揺れたけど、電車が倒れちゃうかな~ぐらいで
別に命に係わる揺れじゃなかったし
早く静まって、早く進んで、試合に間に合わなきゃ
やばいって事しか頭になかった。

この時、たくさんの人から安否を気にするメールがきたが
間もなく停電して数時間後に携帯の電波も入らなくなった。

電車も動かず、携帯も繋がらない状況で、
事態を把握していない俺は、不安よりも
試合に間に合わないから早く動けや~ってイライラしていた。
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で、しばらくそんな状況が続き
今度は「大津波がくる!」って車掌さんからのアナウンスがあったが
周りを見たらちょうど両サイドが壁になってて、なんも見えなかった。
大津波ってどれくらいくんだろうな?って感じで
何メートルかも具体的に言わなかったし、
ここがどこだかもわからなかったのでだんだん怖くなった。
でも、もし津波が来たら電車のドアを開けて目の前に見えた
ハシゴを登ってやろうと言うシミュレーションも出来ていた。 

結局、俺らの電車は運よく高台に停車してたため、
津波が来ることはなかったが、
夕方くらだったか、周辺に津波がちょうど来た時に、
車掌さんが「流されてる人がいるんで助けに行きます!」って言いだして・・・
俺だったら、そんなの怖くて行けないんだけど、
その若い車掌さんは自らが流される危険もあるのに助けに行ってしまった。
俺は電車の中にいたので、細かい事はわからないけど
おじいさんとおばあさんが流されていたらしく、
おじいさんだけが濡れた状態で電車にきた。と言う事は
恐らくおばあさんは流されてしまったのだろう。
おばあさんが流されたのを目の当たりにしている
おじいさんのはずなんだけど、
なんだかすごいホッとした顔をしていて、
夜には外でタバコを吸うぐらいな状態だった。
そういう状況で人間の生と死を目の当たりにして、
軽いとか重いとかじゃないって言うのが 
カルチャーショックだった。
人間って自分が助かったらまずは、ホッとするんだな~って。
でも、それが本当のリアルな人間の感情なんだな、って思った。

で、そんなことがありながら、
結局、最終的には車掌さんの判断だと思うけど
外に出るよりは電車の方が安全、と言う事で
1両に全乗客100人ぐらいが集まり、
俺はほとんど口にすることは出来なかったが
みんなで持っていたお土産とか飲み物とかを分け合いながら
暖房がきいていない寒い車内で寝れないまま一夜を過ごした。
それがものすごい辛かった。

今、思い出しても本当に辛い1日だった・・・ 

2日目に続く・・・こちら