(結局寝れないまま極寒の車内で一晩を過ごす)
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【2011年3月12日~2日目~】
明けて、朝一に電車から降りてみんなで歩いて
村の公民館みたいなところに向かったが
村の公民館みたいなところに向かったが
「ここじゃ、何もないから!」って言われ、
トラックの荷台に乗せられて体育館みたいな避難所に移動した。
避難所に着いて
とりあえず「助かった~」と思っていたのも束の間、
食べ物も何もなく
「これぐらいしかちょっと出来ないんで~」って言われて
出されたのが紙コップにちょっと入ったお茶だけ。
ホントになんもねーんだーと思った。
周りにはコンビニとかもあるわけなくて、何にもなく、
避難所にも電気、水道、ガスも供給不能状態だったし、
その後は誰からも指示もなくほったらかし。
避難所にも電気、水道、ガスも供給不能状態だったし、
その後は誰からも指示もなくほったらかし。
その状態は悲惨だった。
何かをしようと思っても携帯の電波も繋がらなく誰とも連絡が取れない状況だし。
それで当時一緒にいたプロ格のW氏と
どうしたらいいか、どうやったら帰れるかな~と話し合い、
とにかく、ここから早く脱出しないと、と思い
とにかく、ここから早く脱出しないと、と思い
俺は頭をフル回転させた。
で、一応地図を見て1日かければ距離的に歩いて仙台まで行けるな、と思い
とりあえず仙台まで歩いて行こうと決断した。
歩いている時に喉が乾いたら自動販売機をぶっ壊そうと思ったぐらいの
そんな勢いだった。
そんな勢いだった。
で、そんな事を考えながら仙台に行こうと思った矢先、
たまたま仙台に帰るタクシーがいて、運よくそれに乗ることができた。
乗れるだけの人が乗り、仙台に向けてタクシーは走り出した。
タクシーで仙台まで向かっている道中は北斗の拳のような状態で
車が道にひっくり返っていたり、道が割れていたり
まるで映画のセットのような感じで非日常の光景が広がっていた。
で、仙台着いて、
仙台に着けばなんかあんだろーなーと思ったが何にもない。
そんな状況で他の店がやっていない中、たまたま和民だけ開いてて飯が食えた。
そん時は和民すげーなーと思った。
和民でしばらくぶりに食事をした後、しょうがないから辺りをフラフラしてたら
たまたま、マンガ喫茶が開いたので、すぐに入り
そこで初めてテレビを見て、津波の凄さや今回の震災の凄まじさを知った。
【当時のツイート】
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2011年3月12日(土)22:09
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2011年3月12日(土)22:09
生きている。本気で死を覚悟した、それくらい信じられない奇跡が何度も起きた。
この命は大事に使っていきたい。今回の件でご心配をおかけしてすみませんでした、
被災者の方々のご冥福をお祈りします。
被災者の方々のご冥福をお祈りします。
2011年3月12日(土) 23:16
ご心配おかけしました、現場は地獄絵図でした。
2011年3月12日(土) 23:17(WRESTLE-1 KAI宛)
本当に生と死が間近にある状況だったよ。
-----------------マンガ喫茶は飲み物やお菓子とかもあったし、
ずっと寝てない状況で神経もはってたせいもあり、
暖かい場所でぐっすり寝ることができた。
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コメント
コメント一覧 (2)
とってもとっても長く感じましたが、近ちゃん達はもっともっと長く感じられたでしょうね。😢
消耗しきった状態で仙台まで歩こうと思われたというのは、本当にすごいと思いました。
タクシー、和民、マンガ喫茶に恵まれたことに感謝です!
大規模災害では、個々の的確な判断と幸運が大きく左右されます。
命を繋げた人、命を失った人…
まさに地獄絵図です!
電話、電気、ガス、水道…文明の利器に依存して暮らしている現代人が放り出されるような出来事でした。
わたしの家では、バーベキューの時に使う七輪と炭があったので、毎晩、魚や肉を焼いて、鍋でご飯を炊きました。暖房は用意出来なかったので、夜は布団の中にくるまってました。ガスは使えたので、お風呂は入れました。
でも、私達は不便なだけで済みましたが、瓦礫の中に取り残された人や、海に流された人のことを思うと心が痛みました。
亡くなった人達の悲しみを鎮魂するためにも、早く復興して欲しいです!